ブログを書いてる意味あんのかぃ。
ふと、そんな気持ちになる時があります。
「見るなー、勝手に見るなー」って思ってるのに、
「でもこれ、誰かに届いてほしい」って思ってる自分もいる。
矢印が両方についていて、どっちに進めばいいねんって思う。
(はぁ、やっぱり矛盾の塊や。)

ホロスコープを見た日
私の木星は乙女座30度、逆行でした。
サビアンシンボルを調べたら「開封された手紙」と出てきました。
(開封された、って誰が開けたん。私、見られたくないんやけど。)
でも調べていくうちに、これがまさに今の私の状態そのものだとわかりました。
サビアンの風景|封をしたのに、開いている手紙

ここに、一通の手紙があります。
丁寧に、完璧に、封がされています。
誰にも見られたくない。土足で踏み込まれたくない。
そう思って、しっかり封をしたはずなのに。
その手紙は、なぜか開いている。
中身が見える状態で、そこに置かれている。
封をしたのに、開いている。
隠したいのに、見えている。
(これ、まんま私やん。)
サビアンシンボルが言っていること

乙女座30度「開封された手紙」が示すのは、緻密な整理整頓が極まった結果、自分の中では完璧に仕上がった、つまり内側で封印された状態です。
封をしたはずの手紙やのに…って。
私は、このサビアンを違う角度から紐解いてみようとした。
そして「これって報告書みたいだな。」と感じました。
たしかに書いて、そして封を閉じた。なのに、開いて見えている。
そう、矛盾しているように見えて、実はどちらとも正解だったんです。
見られたくない私が「見るなー」と言う
届いてほしい私は「見てもいいよ」って言う
どちらも、私でした。
(矛盾だらけで大正解、ってそういうことか。)
ここで少し、問いを置かせてください。
あなたの中にも、矛盾しているように見える二つの叫びはありますか。
それは間違いではなく、両方が必要だったのかもしれません。
だから私はこうだったのか

ブログは、単なる看板じゃなかった。
誰かを救うためでもなかったのかって。
私にとってのブログは「観測所」みたいです。
自分の中のカオスを、自分が納得できる言葉に翻訳して置いておくための実験室。
一文字ずつ綴り、整理整頓していくその過程自体が、書いていると、不思議と、自分の中に一本、骨が通る感じがします。
(なんや、自分のために書いてたんかーいってね。)
「やっぱ、そういう星だったんかーい。」
……と笑ったあとに、
「こんなややこしい私、もうええねん。」
と、もう一回ププっと笑いました。
完璧じゃなくても、矛盾していても、私は私でいい。
そんな気がしたんです。
私は誰に宛てて書いていたのか。
誰かにじゃなく、自分という宇宙に向けて。
そして同時に、それを見つけてくれる誰かに向けて。
矛盾していても、そのまま進んでいい。
矛盾こそが、私のスタイルなのかもしれません。
あなたはどうですか。
あなたの中の矛盾は、本当に間違いですか。
その問いを、心に少し持ち帰ってみてください。
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