ちゃんと我慢できる人が、大人だと思っていた。
嫌なことも、寂しい気持ちも、ちょっとした違和感も。
「これくらい大丈夫」と言える自分が、強い気がしていた。
ちゃんと我慢をする。それが正解だと、ずっと信じていた。
周りに迷惑をかけないことが、優しさだと思っていたから。

我慢は、いつから正解になったんだろう
波風を立てないこと、空気を乱さないこと、
自分の気持ちは後回しにすること。
気づいたら、それが当たり前になっていた。
誰かに強要されたわけじゃない。
でも気づけば、感情をすばやく「なかったこと」にするのが
自然とできるようになっていた。
我慢することで、場が保たれると思っていた。
自分さえ黙れば、何事もなく続くと信じていた。
それは本当のことだったかもしれない。
でも、それが正解かどうかは、また別の話だった。

あるとき、急に涙が出た
ある日、たいしたことのない出来事で、急に涙が出た。
驚いた。こんなことで、どうして。
でもしばらくして、わかった。
ずいぶん溜めていたんだ、と。
我慢できていると思っていた。
でも溜まっていたものは、ちゃんとそこにあった。
感じないようにしていただけで、なくなっていたわけじゃなかった。
我慢するたびに、何かが少しずつ積み重なっていた。
気づかないふりをしていた分だけ、重くなっていた。
それはもう、強さとは呼べない重さになっていた。

本当は、言いたかった
本当は、嫌なことは嫌だと言いたかった。
寂しいときは、寂しいと言いたかった。
ちゃんと我慢をする、それが正解だと思ってた。
でも正解はひとつじゃなかったのかもしれない。
少しだけ感じることを許したら、世界は壊れなかった。
むしろ、私のほうが戻ってきた気がした。
これからもきっと、また我慢してしまう日もある。
でもそのたびに、「本当はどうしたい?」と、
小さく聞いてみようと思う。
我慢できることは、確かにひとつの強さだと思う。
でも、感じることも、同じくらい強さだと、今は思っている。
どちらも、私の大切な一部だから。

▶ 「ちゃんと」シリーズまとめはこちら
まとめページへ
あなたの内側から届いた、小さなサインに。
物語を鏡にして見えてきた、あなたの本当の気持ち。
一人で抱えるのが重たくなったときは、
そっと隣で並んで歩かせてください。
言葉にすることで、心は少しずつ呼吸しやすくなります。

