同じ物語なのに、漫画で読んだときと、映像で観たときで、感情の揺れる場所が違いました。
夢中さ、きみには、どちらでも深く愛せる作品。
だからこそ、その「違い」が、より鮮明に見えてくるのです。
漫画にしかできないこと

漫画には、余白があります。コマとコマのあいだに、読み手が自分の感情を滑り込ませるための隙間。
エリコの表情は、漫画の中では「解釈の余地」として描かれています。読む人それぞれが、自分だけの少しずつ違うエリコをイメージする。それこそが、漫画という媒体の持つ豊かさです。
映像にしかできないこと

映像には、時間があります。沈黙の「長さ」や、視線が動くまでの絶妙な「間(ま)」。
漫画ではコマのサイズで感情を表現するところを、映像は「秒数」で表現します。同じシーンであっても、映像で流れる「3秒の沈黙」が持つ重さは、また格別なものです。
どちらも正解、どちらも本物

漫画派も映像派も、どちらかが正しいわけではありません。届く形が違うだけで、どちらも「夢中さ、きみに」という物語を真摯に受け取っています。
好きになった順番も、媒体も関係ありません。「好きだ」と思った、その瞬間の感情こそが本物。それだけで、じゅうぶんだと思うのです。
【慈問】
「こうあるべき」という正解を探して、自分だけの解釈を消していませんか?
あなたの心に届いた、その形をそのまま認めて…。
あなたの内側から届いた、小さなサインに。
物語を鏡にして見えてきた、あなたの本当の気持ち。
一人で抱えるのが重たくなったときは、
そっと隣で並んで歩かせてください。
言葉にすることで、心は少しずつ呼吸しやすくなります。

