気づくと、そう思っていることがある。
私が黙ればいい。私が飲み込めばいい。
そのやさしさは本物なのに、
使うたびに自分がすり減っていく気がする夜に。
「私さえ我慢すれば」と思ってしまうとき
ちゃんとしたい。
人を困らせたくない。
面倒な空気にしたくない。
そんな気持ちが先に立つほど、
自分の気持ちは静かに後ろへ下がっていく。
その考え方は、ずっと前から自然に身についていたのかもしれない。
だからこそ、苦しいことにも気づきにくい。

我慢できることと、我慢していいことは違う
表には出さず、ちゃんと笑って、ちゃんとやり過ごす。
我慢できる人は、とても多い。
でも、我慢できることと、我慢していいことは、同じではない。
心の中には少しずつ、言えなかったものが残っていく。
さみしさや、悔しさや、苦しさが、小さく積もっていく。
そしてある日、はっきりした理由もないまま疲れてしまう。
それは弱さではなく、我慢が限界に近づいていたサインなのかもしれない。

やさしさのつもりで、自分を置き去りにしていないか
「私さえ我慢すれば」と思うとき、そこにはたしかにやさしさがある。
相手を思う気持ちも、本物だと思う。
でもそのやさしさが、いつも自分を後回しにする形になっているなら、
少しだけ立ち止まってもいい。
自分を置き去りにしたままのやさしさは、
長く続けるほど、静かな自己犠牲に近づいていく。
だからまずは、我慢している自分にも気づいてあげることから。

少しずつ、「私はどうしたい?」を思い出していく
我慢をやめることは、すぐには難しいかもしれない。
いきなり全部変えなくていい。
ただ、ひとつだけ自分に聞いてみる。
私は、本当はどうしたいんだろう。
ここで黙ることは、自分にとってやさしいだろうか。
その問いを持つだけでも、心の位置は少し変わる。
やさしさと自己犠牲は、似ているようで違う。
その違いに気づき始めたとき、
心はようやく、自分の方にも光を向け始めるのだと思う。

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わかってほしいのに、言えなくなる夜
あなたの内側から届いた、小さなサインに
物語を鏡にして見えてきた、あなたの本当の気持ち。
一人で抱えるのが重たくなったときは、そっと隣で並んで歩かせてください。
言葉にすることで、心は少しずつ呼吸しやすくなります。
▶ 整いすぎない私のままで、静かに自分を好きになっていく時間を
自分の中にある"やわらかな光"を見つける
アニメの言葉や星の導きを借りて、今のあなたを映し出してみませんか?
「正解」を探すのではなく、今のあなたのテーマをそっと知るための時間です。

