「嫌い」と言えない人は優しい。
そう思われがちです。
でもそこには、少し危うい誤解があります。
(「優しい私」でいたい気持ち、わかります。でも聞いてください。)

「優しい」のではなく、「自分を後回しにしている」
嫌いな相手にも笑顔で接する。無理なお願いにも「大丈夫」と答える。本当は傷ついているのに「気にしてないよ」と言う。
それを続けると何が起きるか。
自分の感情がわからなくなります。
「本当はどうしたい?」と聞かれても答えられない。長い間、相手基準で生きてきたからです。
優しい人ほどこの状態に陥りやすい。人の痛みに敏感だから。断った時の空気、相手の落胆、微妙な沈黙、それを全部感じ取ってしまう。
だから自分が我慢した方が早い。
でもそれは優しさではなく、自己犠牲に慣れてしまった状態です。
(慣れすぎて、もはや気づいていない人も多いです。)
「嫌い」と言えない人は、実は怒っている

本当に何も感じていないなら、苦しくならない。でも優しい人ほど疲弊していく。
雑に扱われたこと。軽く見られたこと。利用されたこと。気を遣わせ続けられたこと。
全部、身体は覚えています。
ただその怒りを「こんなことで嫌だと思う私は冷たい」と押し殺している。
でも感情は無視すると消えるわけじゃない。抑圧された怒りは、突然の無気力、人間関係リセット、原因不明の疲労という形で噴き出します。
心って、意外と執念深い。「無かったこと」にされた感情を、あとで必ず回収しに来る。
(かなり怖い取り立て屋です。延滞料金つきで。)
ここで少し、問いを置かせてください。
最後に「嫌だった」と自分に認めたのは、いつですか。
「嫌い」と言うことは、攻撃ではない

「嫌い」と伝える=相手を傷つけること、ではありません。
本来の「嫌い」は、「私はそれを心地よいとは感じない」という感覚の表明に過ぎない。つまり自分の輪郭です。
でも境界線を持たない人は、他人との距離感が崩れる。
舐められる。依存される。都合よく扱われる。
皮肉だけど、「誰にも嫌われたくない人」は、最後に自分自身から嫌われます。
(これ、かなりしんどい末路です。自分で自分を嫌いになるやつ。)
優しい人が最初に覚えるべきこと

「NO」を言うより先に必要なのは、「私は嫌だった」と自分で認めることです。
ここを飛ばして無理に強くなろうとすると、今まで抑えてきた反動で人間関係を全部切りたくなる。
だから順番が大事。
嫌だったと認識する。我慢していたと気づく。境界線を引いていいと許可する。必要なら距離を取る。
静かな人ほど、限界は突然来ます。
ずっと無音だった火山ほど、噴火すると大きい。
(周囲が「急に変わった」と言うやつです。急じゃないですよ、全然。)
優しい人は、人を傷つけないように生きている。
でもその優しさが、自分を傷つけ続ける許可になってはいけない。
誰かを嫌うこと。距離を置くこと。合わないと認めること。それは冷たさじゃない。健全さです。
「みんなに優しく」は美しい。でも「自分にだけ残酷」は、美徳ではありません。
あなたが守るべき相手の中に、そろそろ自分も入れていい。
ひとりで考え続けても、同じところをぐるぐるしてしまうことがあります。
今じゃなくてもいい。
でも、今話したいと感じたなら、その感覚を大切にしてみてください。
話しながら、自分の気持ちが少しずつ見えてくる時間があります。
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